Version: 1.2
Last Updated: 2005-08-19
本資料は、ヘルシンキで開催された DebConf5 をまとめたものです。
Debian Project の開発者を対象としたテクニカルカンファレンス。 今回で公式通算6回目の開催。 Debconf5公式サイト。
debconf3 はノルウェーのオスロ (レポート: 鵜飼氏の資料)、 debconf4 はブラジルのポルトアレグレ (レポート: Debconf4 参加報告) をご参考。
基本的にDebian開発者向けのカンファレンスだが、興味を持つユーザでも参加可能。 debconf5 の参加者総数はおよそ280人、そのうち開発者は150人 程度で過去最大規模の開催となった (Debconf4 は参加者総数約120人、 Debconf3 は150人ほど) 。
参加者の世界分布地図。北米・ヨーロッパからの参加者が中心だが、 参加者の国別割合 (開発者別リスト)より34カ国から参加があった。 特に今年は世界中から参加者が集った印象が強い。
国 | 人数 | 国 | 人数 | 国 | 人数 |
---|---|---|---|---|---|
FINLAND | 93 | ARGENTINA | 7 | UKRAINE | 1 |
GERMANY | 39 | AUSTRALIA | 6 | POLAND | 1 |
"UNITED KINGDOM" | 33 | NETHERLANDS | 5 | LATVIA | 1 |
"UNITED STATES" | 29 | BELGIUM | 5 | ISRAEL | 1 |
SWEDEN | 16 | SWITZERLAND | 4 | IRELAND | 1 |
SPAIN | 15 | "RUSSIAN FEDERATION" | 4 | FIJI | 1 |
NORWAY | 12 | "NEW ZEALAND" | 3 | DENMARK | 1 |
BRAZIL | 9 | ESTONIA | 3 | BELARUS | 1 |
ITALY | 8 | "HONG KONG" | 2 | BAHAMAS | 1 |
FRANCE | 8 | Undefined | 2 | "BOSNIA AND HERZEGOVINA" | 1 |
AUSTRIA | 8 | MEXICO | 2 | ||
JAPAN | 7 | GREECE | 2 |
日本から開発者として参加したのは、上川純一氏 (dancerj)、鵜飼文敏氏 (ukai)、 野首貴嗣氏 (knok)、武藤健志氏 (kmuto)、Simon Horman (horms)、後藤正徳 (gotom)、 の6人。加えて前半を見学しに前田青也氏も参加されていた。
Debconf5 はフィンランドの首都ヘルシンキにて行なわれた。飛行機から見ると、フィンランド国土は 『森と湖』の国であることを実感。 時差は日本と比較して7時間遅いが、夏はサマータイムのため6時間。緯度が高いため、夏の夜は白夜である。
日本からはフィンランド航空を始めとするいくつかの航空会社が運航して おり、今回は SAS (スカンジナビア航空) を使用した。コペンハーゲン経由の飛行機は ちょうどヘルシンキのすぐ近くを通過するので、3時間余計に往復した。
会場となったヘルシンキ工科大学 (HUT)。
debconf5 は、ヘルシンキ工科大学 (HUT) コンピュータ学科の建物と、周辺の施設を借りて行なわれた。 HUT は、ヘルシンキ中心街・空港ともバスで20分ほど離れた緑豊かで閑静な住宅街に点在している。 少しいったところは海になっている。
講演会場の様子。コンピュータ学科の講義室2つを使用。会場内は無線LAN、有線LAN、電源が用意されており、 講演を聞きながらハックが可能。どのテーマでも参加者と発表者とで活発に議論を行なっているのが なんと言っても魅力。
ハック部屋は、講演会場から 1km ほど離れた Smokki (カフェテリア) を使用。ハックする 開発者達。奥の部屋ではいつでもアドホック BoF ができるようになっている。
泊まった部屋。Smokki から 100m ほど離れたところにある。 宿泊所は、ヘルシンキで8月に開催される世界陸上のために新築した建物で、 我々が最初の居住者であったそうだ。 2人部屋に5人を押し込んでいるため、ベッドで寝れない参加者も多い。私は寝袋で寝ていた。まるで合宿状態。 なお、部屋には有線・無線LANが完備してある。 お金がある人は近くのRadison SASホテルに泊まった模様。
食堂 (TF)。カンファレンス参加者は無料で食事できる。学生食堂であるため、味は「eatable」。 朝食8-9時、昼食12-13時、夕食17-18時しかあいてないので、大変に規則正しい生活が送れる。
今回は、初日 (7/9 Sat) に一般向けの Debian Day を開催したあと、8日間 (7/10-7/17) 開発者向けの講演を開催するという スケジュール。初日の Debian Day は結構盛況だったようだ(後藤は移動中のため参加せず)。 その後の講演は午前9時から2~3個、午後1時から2~3個それぞれ1~2会場使用しての日程。 発表すべて午後3時半には終了し、後は参加者が自由に 作業できるようになっている。debconf4 に比べてゆったりとしたスケジュールになっていた。
詳しい日程はdebconf5 Activities Scheduleや DebConf5Talks にある。 今回はビデオ放送チームも結成され、すべての講演が撮影された。後から見返すことができる。 また、事前に論文提出を要求したこと、査読が行なわれたため、発表内容が比較的体裁整えられた 文書としても配布された。
日付 | 内容 |
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7/9 (Sat) Debian Day |
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7/10 (Sun) DebConf |
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7/11 (Mon) DebConf |
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7/12 (Tue) DebConf |
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7/13 (Web) 観光 | |
7/14 (Thu) DebConf |
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7/15 (Fri) DebConf |
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7/16 (Sat) DebConf |
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7/17 (Sun) DebConf |
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ここ2~3年の課題となっている multiarch サポート。
南アメリカ地域での OSS 普及と Debian 開発などについて。
リリースアシスタント aba による、sarge と etch のリリースマネジメントについて。
debbugs や BTS などについて。
lintian の代替パッケージチェッカ linda について。
dpkg の現状と今後の予定。
debconf の魅力の一つが、日常を忘れてハックに心血を注げることかもしれない。 私は今回、作業時間どころかカンファレンスの大半の時間をglibc 2.3.5/2.3.90 の gcc-4.0 対応版を etch に 導入することに費やしていた。
作業のかいあって、現時点 (8/3) でほぼすべての作業が完了、アップロード準備に入っている。 作業期間の changelog は このような感じになった。
Debconf は、講演よりも、むしろ参加者同士がお互いに顔をあわせて作業・議論 可能な点が魅力である。Debian という世界中に散らばった開発者集団(オフィシャル開発者 だけで1000人超)ともなると、まず顔を会わせることもないわけで、 貴重な交流の機会でもあるためだ。
7/12(火) に行なわれた Debconf をどう開催するかの BoF。今回の概要と、 次回の候補地などを議論。
特に、開発者の中では日本開催待望論も高く、日本人開発者としては事前に 武藤氏を中心に日本開催可能か 「debconf-in-japan」にて検討しての参加であった。 が、日本は物価が高いこと、また開催を進めたい人も今の所いないことから、 どうもあまり開催とはなりそうもない。
ちなみに、2006年 Debconf 開催地はメキシコが決定しており、2007年はギリシャに なる予定。
IM (Input Method: 入力メカニズム) に関する BoF。IM の現状と Debian でどう扱うかについて議論を行なった。
参加者は、Debian 側は Enrico (Italian with Taiwanese keyboard), Mohamed (Indonesia アラビア語 SCIM 開発)、Jaldhar (Indian)、Simon (French + Japanese)、上川 (Japanese IM canna)・鵜飼 (Japanese IM SKK and UIM)・ 武藤 (Debian IM Framework)・後藤。Nokia からは Chen・Richard (Chinese, Nokia) (敬省略) が参加。
XIM, SCIM, UIM の他、Nokia の開発しているDebianベースの端末770、手書き入力など、 広範な IM に関して意見交換をした。
結論として、せめてまずは IM に関する HOWTO を英語で整備していくことが必要ではないか、また 自動的に言語毎に IM 設定ができる仕組みが必要ではないか、となった。 特にドキュメントに関しては、興味がある人は(日本語でもいいので)是非やってみませんか?
今回スポンサーとして食費などを出して頂いたintel社の申し出で、開発者との意見交換会が開催された。
intel側は、Debianの開発体制やメンバ構成などに対し、様々な質問をされていた。 Debian 開発者側も intel に対する要望などを述べていた。
会場となったレストラン toolonranta。 料理はなかなかであった。 さすがに撮影した午前0時頃は外もだいぶ暗い。
昨年から始まった ppc64 サポートに関して、Matthias Klose (doko) や Sven Luther (svenl) と 意見交換。特に svenl は、ppc64 カーネルをサポートするために必要な gcc 64 ビットサポートが 進まないことに苛立ちを隠せない様子であった(実際障害になっていたのは glibc だったので、 申し訳ない気分)。
Debconf5 では、Jeff Bailey や Matthias Klose の作成した Ubuntu 環境を利用し、 ppc64 サポートを進めた。
Debian は、実際のところ64ビットサポートが進んでいない部分がまだまだ残っている。 ツールチェインの整備はもちろん、 multi-arch (複数アーキテクチャ) サポートを etch で進めていくことが必要だろう。
Debian GNU/kFreeBSDは、 FreeBSD からカーネルだけ持ってきて (kFreeBSD の k はカーネルの意味)、 Debian システムを動かしてしまおうというもの。 写真は Debian kFreeBSD プロジェクトチームの面々。aurel32 に話を聞いた所、 非常に楽しく活発に開発が進められているらしい。 libc として Glibc を採用しているため、今後のパッチ取り込みに関して少し議論をした。
何がメリットなのだ、といじわるな質問をしてみた所「よく言われることが楽しければ良いではないか」 といった単純明解な回答を頂いた。
Debian ではすでに Linux・Hurd という2つのカーネルをサポートしている。 稼働 OS の種類を増やしていくことは、Universal Operating を実現するにあたって、 またパッケージ品質向上のためにも興味深い作業ではないかと思う。 雰囲気も良く、今後の期待大である。
belocs-locales-* パッケージをメンテナンスしている Denis Barbier、glibc localedata メンテナ Petter Reinholdtsen (pere) との議論。
Denis は、現状の glibc ロケールパッケージの状況にあまり良い印象を持っておらず、 できればロケールパッケージだけ引き抜いて開発したい様子であった。 色々議論の結果、最終的に一緒に開発して上流に貢献しよう、という点で一致した。
今後の彼の作業に期待するとともに、放置しているロケール関連の開発を進めなければ、 とも実感。また、/etc/environment にロケールを設定するのを辞めて、環境変数を もっとジェネリックに設定できるような枠組が必要とも認識を共有した。
d-i の今後のデフォルトが UTF-8 に移行するので、今後は Debian でもデフォルトロケールを UTF-8 にする方向。特に異論はなさそう。武藤氏のアナウンス。
ヘルシンキ空港から出ているバスに乗って会場まで移動した時に発見。 バスの車内広告用に LCD が1台前面についており、バスのエンジンをかけたときに一緒に起動する。 これが Linux 組み込みベースで出来ており、ちゃんと起動時に RedHat のブートメッセージが 表示されていた。
フィンランドで食べたもの。フィンランド人で、日本語も堪能な Arto さんにお聞きして色々食べてみた。トナカイ肉はコンビーフ、Vadelman はブルベリージュース (かき氷のシロップ?)。どれもそれほど違和感なく結構いける。